左門の、日記。
11月18日、水曜。
夕方、歯医者へ寄る。
夜、帰る前に、渋谷。
シネマヴェ-ラ。
再び、<洞口依子映画祭>へ。(注1)
おお、何たる幸運!
いるじゃあないですか、御当人が。
観客や業界の人達に、ロビーで挨拶中だった。
上映前に舞台挨拶もあり、
あなうれしや、ありがたや。
さて、本日の2本立ては、
3本組みオムニバス映画「危ない話」と、
中編映画「一万年、後・・・」。
実質、4本立てで、お得感あり。
「危ない話」観るの、相当久しぶりだ・・・。封切り以来か?
たしかどこかの、レイトショーだったような。
渋谷?吉祥寺だろうか?
何しろ、1989年公開だから・・・ね。
1本目、井筒和幸監督「ツタンカーメン王の呪い」というから、
オカルト系の話?かと思ったら、違った。
酔っぱらい男が、夜のアジアン・バーに寄ってみたら、
そこは・・・客層が、恐るべきメンツになってた・・・!という話。
恐怖コント、とでもいおうか。場内、爆笑発生。
まだ黒髪が多い頃の、
竹中直人の、ビビリ・悪ノリ?コメディー怪演を、堪能できる。
とどまる所を、知らない・・・!
ジーコ内山氏も、ちょっと登場。
2本目、黒沢清監督「奴らは今夜もやってきた」。
山地の知人宅で執筆中の、ミステリー作家を脅かす、
古びた巡業トラックでやってくる、二人の股旅風<刺客>。
思わせぶりなBGMのかかる中、
両者の猛烈バトルが、始まる・・・!
アップテンポで大暴れ、闇夜にアクション・ホラー。
石橋蓮司が、びびる、ぼやく、文句言う演技を、観るための芝居。
「他の歌にしろ!」シーンに、笑う。
うどん屋の、懇切丁寧すぎる店員が、洞口女史。
「ドレミファ娘・・・」の後なので、
こういうのんきなシーンを、入れたんだろうか。
3本目、高橋伴明監督「あの日にかえりたい」。
横浜ロケ。
バイクと通信機を駆使して、いわばスポーツ感覚で、
銀行強盗を決行した、男女ペア。
あきれるほどに楽勝気分、屈託なく実行し、
4WDを使っての作戦は、まるでハイキング。
次々と着実に、ROUNDをクリアー、したはずだったが・・・。
思わぬ目撃者から、一人の顔が割れ、2人は別れ別れに。
そして、再会の日が来て、
一緒に暮らすも、
何か以前と比べて、
どこかかみ合わない、もどかしさを感じ始める、二人・・・。
今も昔も存在した、xx逃亡犯が登場。タイムリーだ。
それにしては、随分とまあ、さわやかで、のどかな感じで進行。
ロマンスと不用心は、紙一重。
女の潔さ・・・かな?
男の本拠も小奇麗で、
万事が、いかにも往年の、トレンディ・ドラマ風。
今となっては、懐かしさすら感じる・・・。
休憩をはさんで、
沖島勲監督のデジタル映画、「一万年、後・・・」。
これがまた、奇妙奇天烈な、77分の映画。
2007年作品。
最初にタイトル前から、いきなり、
これが、安いワンセットで、演出・キャメラ撮りされている事を、
まるまる、ばらしてしまう。
これはあくまでも、架空の生舞台式ですよ、という宣言。
む、無茶や・・・。
大林宣彦監督の某映画だって、途中からなのに・・・。
そのままでは、貧しくみずぼらしい画面に、なるだろう事は、
既に明々白々、だったのだが、
事態は、思わぬ方向へと進展した。
きわめて質素な家屋内に暮らす、中学生くらいの少年・正一がいる。
小学生の妹の、帰りを待っている。
そこへ、稲妻、雷鳴とともに、
変に安っぽい、未来服(苦笑!)に身を包んだ、中年男性が現れる。
演ずるは、「必殺仕切人」でターザン男役の、阿藤快(注2)。
(松田優作映画でも、常連だぜ!の声)
彼にとって、そこは、
日本の国すらとうに消滅し、
言語は変わり、金銭概念も消え、
奇怪な生物やら、託児所男?やらが往来する、
人類の存亡すら、危うくなった、
約一万年もの、未来なのだ・・・というお話。
異空間SFというよりは、まるで民話でも語られるかのような、
危機的状況にしては、
いやはや何とも、のんきでのどかな語り口。
悲壮感と、呑気さと、無邪気さの入り混じった、
奇妙なる、世界。
外部世界と家屋内の関係性も、非常に豊かで、おもしろい発想なり。
呼称の置き換え台詞、音楽(?)の変換など、
その強引さ加減には、随所で、爆笑!させられた。
劇中劇の「すいちゃん」 も、愉快、愉快。
ただしこれは、大半があくまでも、舞台演劇的面白さであり、
映画表現としての面白さとは、
若干離れているような気も、しないではない・・・と。
あきらかに、予算の極度にかかっていない<映画>だが、
CG合成の進歩で、雷鳴シーンや、風景映像、
「お前、何言ってんだい!」調な、おふくろさん(洞口、ぴったり!)回想、
などなどの合成は、
「危ない話」のそれよりも、ふんだんに使用されているのが、
年月の経過を、感じる。
舞台照明も、次元トリップや宇宙空間を想起させるべく、
効果的に、使用されている。
それでもなお、全体の安っぽさ、
イメージの貧弱さは、拭いきれないものがあって・・・。
かつて沖島監督が、
「まんが日本むかし話」の監修・監督だった事を考えると、
この映画、一応の合点がゆく。
要するにこれは、
沖島流<未来むかし話>、読み聞かせなのだ。
台詞と音響を、ラジオドラマのごとく観客に聴かせて、
影絵や珍扮装等、わずかな画面構成を加えて、
イメージの欠乏部分を補完させよう、と強いてくるもの、なのだ。
衰えかけた想像力を、今一度たくましく、
ふくらませなければならないのは、
実は、観客のわれわれの方なのだ・・・おそらくは。
だから、あの唐突な、ええかげんにせい!な終わり方も、
<民話>だから、なのだろう・・・。
などど、勝手に憶測している。
ただし、それでも、あの歌は、長すぎる!と思うが。
大いなる面白さ、豊かさを認め、評価しつつも、
同時にそれが、大変みずぼらしいイメージ造形と、同居している、
そんな不満も、やっぱり残る、という、
贅沢、かつ、複雑な悩みを、
小生は今、抱えているのだった。
以上。
注1:「どうぐち・よりこ」が、通称名の読み。
本来は、「ほらぐち」なんでしょうけど、
「どうぐち」で、世間に広まってますね。
注2:「Gメン」シリーズでは、鉄条網前で暴れて、刑事に襲いかかり、
感電死する刺客役も、やっている。
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- 2009/11/19(木) 00:45:54|
- 劇場用映画
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