旅人、覚書。
26日、土曜、
仕事は、半日程だった。
午後、思いきって、房総へと向かう。(注1)
(自主映画の諸君、すまん!こういう日もあるんだ!と代表者の声)
今年は、月の砂漠の歌で知られた、
房総半島の御宿・田尻の浜に、
フィリピンからメキシコ(注2)へ帰還途中の、メキシコの帆船が、
台風で難破・座礁、
村民に救助された、
ドン・ロゴリゴ総督(注3)ら、漂着乗組員達が、日本に上陸して、
ちょうど、日本&メキシコ交流400年に当たる、記念イヤー!だという。
彼らは当時、地元を治めていた、
上総国(かずさのくに)の大多喜藩主、
本多忠朝(ほんだ・ただとも:注4)の、手厚い庇護を受けた。
江戸の大御所・徳川家康と、将軍・秀忠によって、
代わりの帆船が用意され、
京都の商人を乗せて、メキシコへの帰路に就いた、とか。
(まだ、鎖国してなかったんだな、の声)
その御宿は、JR外房線(注5)の沿線で、
夏場の海岸は、海水浴場のメッカとなった。(注6)
この日は何か、記念式典等の警備があるらしく、(注7)
JR外房線の踏切・陸橋等には、この日、
青い制服の警官が、あちこちで、立っていた。
各駅舎・ホームにも、青い腕章のスーツ男性が、目立っていた。
何だか、電車内の小生が、見送られているような、錯覚さえ起きる・・・?
乗り換え駅の大原に着く頃には、皆、いなくなっていた。
おそらく、式典が終わったのだろう。
さて、大多喜の街は、
現在の<いすみ鉄道>(注8)の、沿線にある。
しばらく、行っていなかった。
JR外房線の大原駅で降り、乗り換えまで、ゆっくりする。(注9)
この辺では電車は、1時間に1本なので、やや待つ。
駅付近は、今年の大原はだか祭り(神輿)シーズンも終わり、(注10)
たまに商店街風の人や、観光らしき主婦層が来る以外は、
おおむね、静かである。
大多喜駅に着く頃には、甲冑行列の<お城まつり>も、終わっている事だろう。
市電のような、黄色い車両が来る。(注11)
後部ドアより、乗車。
多くの焚き火で、白く煙る、田園風景の中を、
山地方向へ、ゆるゆると進む。
大多喜までの運賃は現在、520円。
降りるときに払う、バス方式。
最近、大多喜のひとつ前に、
城見ヶ丘(しろみがおか)という、まっさらの駅が出来た。
近くに学園キャンパスと、長距離バスの停留所ができたためらしい。
ここからは、山上の大多喜城が、たしかに見える。
大多喜城跡には、博物館の建物として、
天守閣が、再建されている。
この城、家康の重臣・本多忠勝が、城主だった時期もあるとか。
本多忠朝は、その子息なのである。
以前、坂を上って行っているが、
内部は普通の室内で、鎧などが、展示されてある。
勿論、姫路城みたいに、大きくはないが、
見晴らし台からは、
結構、山河の眺めの、いい景色が見れる・・・。
かつての城内敷地には、中学校と高校が建っている。
車両本部のある、大多喜駅に到着。(注12)
既にかなり、暗くなっていた。
他の乗客らとともに、駅員と話したが、
やはりというか、お城の大名行列は、
とうに終わっていた。残念・・・!
駅前広場には、手品のような、万国旗の紐飾りが多く残っていた。
上総中野(かずさ・なかの:注13)乗り換えで、
小湊鉄道(注14)の、養老渓谷・上総牛久・五井方面へ抜け出る電車便も、
平日ではないので、早めに終わっていた。
土・日・祝は、乗り換え便が夕方までなのだ。
いったい普段は何人位、養老渓谷方面まで、抜けて乗ってゆくのだろうか?
駅前から、ゆるやかな坂を降りたところにある、
木造りの街並みがある、幹線道路のそばへ出る。
交番の近くに、以前あったコンビニは、閉店していた・・・。
地元の衆、商店街の人々らによる、
威勢の良い、2組の神輿行列のみを、
この道あたりで、見学してきた。
わっしょい、わっしょいを眺めていたら、
少し、気が晴れた。
大原行き、20時過ぎの終電で、
もと来たルートを、千葉へ引き上げる事にした。
終電の乗客は、意外や年配者よりも、高校生が、ずっと多い。
部活帰りや、祭りの手伝いだった模様。
(遅くまで、お疲れさんです!の声)
城見ヶ丘駅で振り返ると、夜空の山上には、
白くライトアップした、あの城の天守閣が、
窓から、遠くに見えたのだった。
今回は、時間を気にしすぎて、あたふたしてしまったようだ。
次回はもうちょっと、ゆったりした気持ちで、来ようかと。
以上。
(注1)房総の北半分寄りを上総(かずさ)、南寄りを安房(あわ)と呼ぶ。
上総より北の、千葉県全体の北半分は、下総(しもうさ)と呼ばれる。
(注2)1609年当時、実質スペイン領の、ヌエバ・エスパーニャ国だった。
(注3)ドン・ロゴリゴはエスパーニャの貴族で、
本名は、ロゴリゴ・デ・ビべロ・べラスコ。
総督として治めていたフィリピン・マニラで、日本人の暴動があり、
その対策がらみも含めて、家康に友好の手紙を、送っていたらしい・・・。
(注4)家康が重臣四天王の一人・本多忠勝の、子息。次男。
親族がこんな超有名人では、何かと比べられるので、
藩主・忠朝もさぞ、大変だったことだろう・・・。
その後、1615年の、大坂・夏の陣で、
家康側の武将として、戦死す。
(注5)JR千葉~安房鴨川間を、太平洋寄りに南下する。
半分以上、単線運転。
東京湾側を南下し、館山経由で安房鴨川に至るのが、JR内房線。
(注6)夏場の御宿海岸は、完全に、ナンパ系のメッカ!である。
(注7) 御宿で、記念の男女像がお披露目されたらしい。
そっちへ寄る手も、あったかな・・・と。
(注8)旧・国鉄木原線が、第3セクター化、
改名した路線が、<いすみ鉄道>。
上総中野~大原間を走る。
*「木更津キャッツアイ」で知られる木更津から、
上総亀山まである、JR久留里線と、
東西房総横断でつながる計画も、
昭和にはあったが、中止になった模様。
*瀬々隆久監督の「HYSTERIC」等、
時折、映画・TV等のロケに利用されている。
(注9)今年(平成21年)4月から、JR内房線・外房線の全駅に、
suicaの自動改札が設置され、
一部の無人駅の待合所が、白く真新しくなった。
<いすみ鉄道>は、料金箱に降車時払いで、
PASMO設備等は、無い模様。
(注10)JR大原駅駅舎に、神輿かつぎの写真がある。勇壮。
(注11)なのはな号、という名の車両が、停まっていた。
車内のポスタにーよれば、今年10月1日には、
ムーミン・キャラの表札を付けた、<ムーミン車両>が走る、という。
(注12)駅名の標識が、
「デンタルサポート 大多喜」となっているのに、最初は驚いた。
駅周辺地域で、歯科の訪問治療を行なっている、PRのため。
ホームには、城主だった本多忠勝用の模型らしき、鎧・甲冑と、
2人以上の記念撮影にふさわしい、ある設備がある・・・。
(注13)乗り換え駅にも関わらず、まったくの無人駅である。
両線の直通運転も、していない。
以前、五井側から乗ってみたことがあるが、
ダイヤグラムに従って、30分位、ぼ~っと待っていると、
反対側から、まったく違う車両が、来る。
(注14)<小湊鉄道>は、京成電鉄グループの私鉄。
こちらは、複数車両で編成。
東京湾側の、JR内房線・五井駅より、
山岳部の養老渓谷駅までは南下、
その後やや東寄りに折れ、
終点の上総中野で、<いすみ鉄道>に連絡。
*終点以外のすべての駅が、
南北に長い、千葉県市原(いちはら)市内にある。
したがって実質的には、<市原鉄道>ともいえる・・・。
*名前の通り、一時は、外房線の安房小湊まで、南下する計画があったが、
もろもろの事情により中止、旧・木原線との接続に、計画が改められた。
*風情のある駅舎や、沿線風景のおかげで、
金田一耕介サスペンスや、「仮面ライダー響鬼」等、
しばしば、映画・TVドラマ等の、ロケに利用されている。
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- 2009/09/27(日) 23:13:35|
- 小旅行
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今夜、そのオリンピック都市が、決定するとか・・・。
さて、どうなりますやら?
- 2009/10/02(金) 20:32:37 |
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・・・で、結局、
リオ・デ・ジャネイロと、マドリードが競って、
リオに決まったね・・・。
一番、国民みんながやりたそうな所に、決まったな~、と。
- 2009/10/03(土) 23:27:41 |
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