主水日記。
実のところ、自主上映以外にも、
フィルムセンターの企画上映とか、
ラピュタ阿佐ヶ谷の田中登監追悼特集とか、
いろいろ触れておきたい話があるのだが。
取り急ぎ、大いなる快感と困惑とを同時に食らった、
ある自主作品について、先に記しておきたい。
堀井彩監督、目下の最新公開作「日曜日にはカレーを」は、
ひとことでいえば、監督自身の映画制作遍歴を基にしつつ、
自伝的要素におそらくは一部大幅に?フィクションをまぶした、
過去名場面ダイジェスト・プラス・業界裏話?ネタの、
二重構造映画である。
主役の監督青年は、劇中の女優達に対して、
正に日活ロマン的な、捨て身の肉感的場面を要求し、
ボリュームたっぷりに、画面へと差し出させしめている。
いってみれば、男性監督流の「映画監督になる方法」に、「火宅の人」(!)等を加味したような内容。
これ、ここまでやっていいのか?と、
いささか、はらはらさせられるのも事実。
劇中の主役たる監督、演じている俳優の風体は、
まるで監督とは、別人・・・!
なぜかやたらと、女優や女性スタッフにもてまくり、
製作過程の煩悶がらみとはいえ、要所要所で、
彼女達との、出会いと別れのシーンを繰り返す。
その辺は、生真面目な男ながらも、
いささか調子の良い「愛と平成の色男」(!?)な展開ぶり。
俳優・女優の演技プラン不納得、
出演者の遅刻、スタッフ離反、
寸借詐欺と思われる女優勧誘?等の制作トラブルに対しては、
主人公はかなり厳しい対処をし、クールな一面も見せている。
彼は、スタッフと自分とのある距離感を保ちつつ、
時には知人がらみの話でも、題材として映画表現へと昇華し、
常に人間付き合いの不得手さと、
撮る理由の自問自答とに悩まされつつ、
やがては自分なりの道を、模索してゆく。
(観客と作品の間にも、それに近い距離感が時折表面化するのだが・・・の声)
現場にいたらばさぞ困惑させられるだろう、
困難な製作過程と男女関係のこじれる話が、同時進行。
比較的明るめの画面と、テンポのよい疾走感とともに、
意外にもわりと陽性な画面と表現でもって、語られてゆく。
業界現場の悲話を、痛く暗く語りすぎて、
泣かせるより先に、観る者の気分をどんより落ち込ませてしまった、
他所の某大手商業系公開映画よりは、
表現のサジ加減がずっと、よろしい。
この手の題材につきものの不快さを、
こちらが長くひきずらないで済むのは、救いなり。
(だって、観客には直接関係が無い事だし、大抵は精神的に、迷惑なのだ・・・!の声)
某女優が男優に、プロとしての現実的な注意を促して泣かれ(!)、
困惑する辺りの混乱シーンなど、
いかにも現場でならあるがちそうな話ゆえ、危ういところではあったが、
基本的に<悲喜劇>的状況として描かれているため、
当方は不覚にも、苦笑させられていた。
仮に双方のファンが居て、ダイレクトに観せられたとしたら、
相当、引いてしまう所だろう。
あれ位の<表現按配>までが、必ずしも懐の広いとは限らない、
一般的観客にとっての許容限度、なのである。
名古屋ロケの話から登場する、植木等主演映画のごとき、
陽性でポジティブな脚本家(御存知、石川謙氏)の存在も、
観ている側としては正直、気分的にありがたい。
唐突な大集合シーンなどは、映画の関係者諸氏にたいする、
作者なりの照れと詫びと、感謝の表意なのだろう、と見た。
色気とボリュームと切なさとで押しだしてゆく、
胃の腑の強さを見せ付け続ける堀井監督の作品としては、
一部やや軽さに流れていないか?と、若干気にならなくもないのだが、
まずは<本道>に復帰、復調してきた、という印象。
今一度、過去映像に準拠しない、完全オリジナル作品でもって、
その力強い押し出し表現の醍醐味を・・・と、大いに期待しておきたい。
他所の作品については、別項にて。
まずは、以上。
スポンサーサイト
- 2007/04/09(月) 01:19:46|
- インディーズムービー
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0