いしまつの、日記。
池袋・シネマロサ、レイトショー初日。
「まだ楽園」(未見?)・佐向大監督のDV映画新作、
「ランニング・オン・エンプティ」、公開。
「パレード」「人間失格」等、
新作映画の初日が、重なった日とはいえ、
「SPサイタマノラッパー」(未見・・・)の女優・みひろが出演、
有名中堅俳優2名が出演、というだけでは、
興行的にはまだまだ、厳しそうな様子なり。
少し前から、入り口の階段付近で待っていたら、
ロン毛とジーンズの似合いそうな、若手関係者の来場が多い。
まあ、そこそこの入りだろうか。
かつてのBOX東中野あたりでも、よく見受けられた光景。
ここから、新しい映画と観客の、出会いと展開が、始まるのだ・・・。
さて、昼間の新文芸坐とは、まるで正反対の映画世界が、
観客のわれわれを、待っていた・・・。
典型的工業地帯の、下宿に同居している、男女。
主人公青年と、ヒロインが、
とにかく、あきれるほどに、
けだるそうで、だらしなくて、みっともない感じで。
かつ、実にいい加減な行動原理のみで、各自動いており、
まるで、共感出来ない連中ばかりなのだ・・・。
ごく少数の友人世界から、一歩も出ない、きわめて狭い世界の中で、
どうしようもない、勘違い・すれ違いの悲喜劇が、展開するのみ。
その悲喜劇ぶりは、展開の妙もあって、
とりあえずはちゃんと、笑うべきところで、笑えるのだ。
が、しかし・・・
こいつらのいい加減さ、ものぐさ加減には、
とにかく、ほとほと、あきれる。
周囲の男性達を、色仕掛けで動かす術には、たけているくせに、
思いつきで始めた、自己都合の狂言誘拐作戦を、
行き当たりばったりな指揮・進行しかできない、
ヒステリックな、ダメ・ヒロイン。
一方、ものぐさで怠け者で、でたらめ放題な、ダメ青年、
誘拐の知らせが来ても、さっぱり、積極的行動を見せようとしない・・・。
やっと動き出したかと思いきや、
無断で抜けた元バイト先の、店長のところで、
せこい旧悪が、ばれているし・・・と、苦笑もの。
ヒロインにたぶらかされて動き始めた、周囲の男性どもも、
金策を始める、バンド仲間達も、
まったくのずぼらで、あてずっぽう、
行き当たりばったりの状況対応に終始する。
やがて、主役ペアのとんでもない真実が、徐々に明らかになり、
どうしようもない気分は、一段と増す・・・。
ここまで、いいかげん極まりない、人間関係の有り様は、
ひたすらにけだるく、かったるく、
かつ、救いがたい・・・。
どうせやるなら、どいつもこいつも、
もうちょっとましに、準備・対応しろよ!
などと、文句の一つも、言ってやりたくもなろうもの。
映画表現がダメなのではない、むしろ、
登場人物たちの、へこんだダメダメさ加減が、
空気感覚として、とてもよく描けている事、それ自体が、
観ているこちらにも、けだるさ、かったるさを、誘発させているのだ・・・。
やっと主人公の、勢いよく走る姿を、観れたその後でさえも。
あれは、あまりにも、遅すぎる。動くのが。
ごく一部の、溌剌とするシーンを除くと、
映画全体の、動的エネルギーのなさは、相当なものだ。
<なまけ怪獣ヤメタランス>(注)が、浮かんできそうな程。
まったく、観ているこちらまで、
だんだん呆れかえり、投げやりになってくる。
もう、お前らだけで、勝手にぐるぐる、やってろ~!と。
つきあいきれねえぞ~!と。
だから、ラスト近くで、銃声が響いたときには、
妙な事だが、ほっとさせられたような、変な気持ちになった。
ああ、やっとここの、けだる~い日常循環世界から、
心が解放されるんだね・・・?などと。
我ながら、情けないことだが。
そんな、怠惰と混迷に染められきった世界の中で、
わがままヒロインにパシられ、しぶしぶ作戦を手伝いつつ、
適当に世渡り?して、その場をしのぐ、
中継ぎ役の小柄青年の、調子良さ。
それと、
実家のコワ面親父と主人公の、
猛烈ドタバタな、からみ。
ここらの、部分的シーンだけが、
溌剌として、心から面白く、
魅力的に、光っていたのだった・・・。
以上。
[外伝ゼヨン・拾五「もっと激しく、動くぜよ!」]の続きを読む
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- 2010/02/21(日) 10:11:27|
- 劇場用映画
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続・八丁堀の日記。
2月20日、土曜、午後。
池袋・新文芸坐。
森繁久弥・追悼特集、最終日。
やはりというか、白髪交じりのおっちゃん、お父さん達が、
客席とロビーを、うずめていた。
今日は、「吉田学校」「海峡」と、
80年代東宝系大作映画、2本立て。
(「日本沈没」の、森谷監督特集だなあ・・・の声)
この2本に対しては、昭和クロマニヨン原人としては、
若干の懐旧を含めた、少なからぬ感銘を受けたのだが。
同時に・・・スターシステム的大作表現ゆえの、
ある限界点をも、感じ取らざるを得なかった・・・。
「吉田学校」では、
伝説の外交政治家・吉田首相になりきって、
堂々と演じている、森繁久弥の見事なる貫禄ぶりに、まず感心させられた。
大物ライバル・フィクサー役・若山富三郎との、
数頼み、権謀術数な内部抗争、裏技対決の数々、
不謹慎だが、バトルゲ-ムを観るような、
黒いユーモア?含みの<面白さ>があることは、
くやしいが、認めざるを得ないのだ・・・。
藤岡琢也の、期を見る変わり身の調子良さなど、爆笑ものである。
客席のおっちゃん達は、よく笑い、
「ああいう、もんなんだよなあ~」などと、上映後も評し合っていた。
そして「海峡」は、
おそろしく長期にわたる、海底トンネル貫通工事の大河物語を、描いている大作。
風景撮影の迫力、
トンネル大工事・大湧水・崩落シーン等の、有無を言わせぬド迫力、
父親的存在の現場監督になりきった森繁の、演技の素晴らしさなどには、
大作路線ならではの重量感に圧倒され、
文字通り、呑みこまれた。
総力結集、底力、と呼ぶにふさわしい仕上がりだろう。
だが・・・それらメイン・ドラマ以外の、途中のシーンになると、
両作品とも、
有名スター達に、見せ場を与えるためのムーディー芝居、という印象が、
感銘を、やや上回ってしまい、
一部のシーンでは、空々しくすら映ってしまう気がするのが、
何とも、惜しいのだった・・・。
まず「吉田学校」についていえば、
われわれがTVのVTRで、何度となく目にしている、超有名政治家を、
スタイルのよい、あまりにもかっこよすぎる(!)西郷輝彦が、
気持ち良さそうに?かっこよく演じている様は、かなり面白い光景なのだが、
これが映画で無く、舞台劇だったならば、
それほどの違和感を、感じなかった事だろう。
他の出演者たちもほぼ、同様の印象を、観客に与え続けている。
スタイルの良い俳優揃いの、オールスターキャストである贅沢さが、
なまじ、TV映像に映る人々の、なまなましい記憶があるがゆえに、
これは、モデル的に美化してあります、という印象を、
かえって、強めてしまっている点は、否めないのだ・・・。
大人物や俳優の、スター・イメージというべきもの自体が、
80年代には既に、
TV報道の<印象リアル感>(事実検証の意味とは、別の・・・)によって、
かなり、おびやかされてきていた、
これはその、象徴的光景ともいえよう。
そのような「すごいんだが、困った・・・」な印象は、
「海峡」のほうにも、残念ながら多々、見受けられる。
トンネル工事にかかわる人々の、リアルな苦労話はすさまじく、
間違いなく、見る者を圧倒する。
その一方で、いかにもフィクション・ドラマ風な、シーン展開が存在する。
主演俳優を高倉健にしたのは、決して間違ってはいない。
邦画スターとしてのの、男らしいスターイメージに即したとおぼしき、
いかにも劇的?な、吉永小百合や三浦友和の出現エピソード、
男女2人の情感シーン表現、
大谷直子の女房との、すれちがったやりとり、などなど。
だが、本来、工事苦労人達への感情移入を、
強化すべきはずの、これらのシーンが、
逆に、どこかよそよそしく、
時として、素直な感情移入を、拒んでいるようにも、
見えてしまうのは、なぜだろう・・・?
つまるところ、作る側にすれば万全なはずの、
スター・イメージ強化策の印象が、
かえって、本筋ドラマ自体への感銘を、薄めている、
そんな空気を、こちらではいつのまにか、
そこかしこに、感じとってしまっていたのでは、ないだろうか?と。
また、現代的(というより80年代的)東京の光景が入り込む、
「海峡」の終盤などは、
そういった種類の空疎さの、象徴的光景となっており、
そこまで作ってきた、和風社会的情感世界は何だったんだ?
という印象を、与えられてしまう・・・。
(せめて空港の所までで、止めるべきだったんだ・・・!の声も)
フルコースの満腹感に、たっぷりと浸りながらも、
まだ、満足はしきれていない、
青年老い易く、スター成り難き・・・という、
いささか複雑な気持ちを、抱えたまま、
次の場所へと移動するべく、劇場を、後にしたのだった。
そちらでの話は、次号。
以上。
- 2010/02/21(日) 09:39:06|
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