主水日記。
越境、という魅力的なテーマがある。
ソン・へソン監督(兼・脚本)の劇映画「力道山」のソル・ギョング演じる主人公こそは、越境を続けてきた者。
海峡を越え、相撲界からプロレス界へと転進、国境も太平洋も越えて、彼の言う<世界人>としての栄光あるヒーローたる自己を勝ち得てゆく。
ヒーローに絶対なる、と誓った男。
日本社会の壁にぶつかり、挫折も味わってきた男。
(ひどいね、あの先輩力士達のやり方・・・!)
そして、夢を子供達に与える事を忘れなかった男。
更に自らの夢を追っていた男。
だが後半、勝ち得た栄光と引き換えに人間同士の信頼、という宝物を徐々に失ってゆく。
仕事上の秘書(萩原聖人)には偽善ぶるな、と言い、同郷の旧友には人は初めから孤独だ、と母国語でつぶやく主人公の言葉が、男らしくも哀しき心情をストレートに伝える。
裏社会やTVとプロレスの繋がる世界を泳ぎ渡りつつ、その一方で無骨、極端にストレートな言動をぶちまけ続ける男の半生が、真正面からのスター・アップ多用、ややたどたどしい日本語台詞と圧倒的再現バトル・シーンとともにガンガン、こちらに迫ってくる。これで興奮しなかったら男じゃない。
これぞスター映画、というエネルギーに満ち満ちている。
日本のスター映画がとうに失った、迫力ある何かが、確かにある。
名台詞が若干聞き取りにくいのが、唯一の難点だが。その事で主人公の無骨さがより強調されて見える。いいスパイス。
中谷美紀の日本女性、もう今時居ない古風なタイプだろう。
渡米中、よく待っててくれたよなあ・・・。
でも生活に求めるものが、夫とは違っていた。
「一度だけ負けてください・・・」がそれににつながる。
周囲の和風美術が素晴らしい。若干は某ハリウッド映画のジャパネスク描写を思わせないでもないが、あちらのそれなどよりは芸者の仕草などずっと本格的で、ちゃんとそれらしく見えている。
韓国・日本合作映画のプロレスラー伝記映画で、純日本的な<美>を再確認している小生。
これも一種の麗しき越境、なのだろうか?
4/14(金)。
旧ユーロスペースから改称した渋谷Nシアターで、中村義洋監督「ルート225」を観る。(題名、ルートの記号が・・・出せない!)
これは映画内で、あるささやかな越境が見られる。
新生「ウルトラQ」や「世にも奇妙な物語」のロング・バージョンみたいな展開。原作の発想と脚本の堅実さによるところが大きい。
ゆったりとした、きわめて地味な日常風景描写と進行ながらも、ある種の別世界の中へと迷い込んだ主役たる姉・弟コンビの状況把握、記憶混乱、狼狽、悲哀、決意などが切々、かつ淡々と綴られてゆく。
八百屋のあいつが出るシーンだけ、一瞬解釈にちょっと戸惑ったのだが・・・。(こちらも半ば記憶が、ミステリー・ゾーンなのです。)
野球テレカにはかすかに、笑った。これがニクい小道具になる。
「カッコつけるな」、とやや理屈屋の弟に批判されている姉が、「どんくさい」弟を小突きつつ、あくまでも冷静に状況把握に努めようとするも、次第に追い込まれてゆく。でも見かけによらず?根性がある。
その過程で彼女が一見つんとした表情を、次第に人間くさく崩してゆく様、他人との接し方を学んでゆく様を、じっくりと眺めさせてもらった。てゆーか、そうせざるを得なくなる映画。
(「てゆーかって言うな!」が聞こえてきそう、の声。観た人はわかる)
ラストが・・・じんわりくるぜ。
マッチョ青年君、あれからどうしたのだろうか?
動きにはやや欠けるが、したたかに心のさざ波を呼び起こす。佳作。
同日4/14(金)、夜9時20分より渋谷シネマ・ラ・セット。
内田けんじ監督X松梨智子監督トークを聞いた後、「映画監督になる方法」をもう一度、観返してみた。
劇中司会役の人も派手だなあ、などとつぶやきながら。
あの、まんたのりお扮する監督の主張は、撮る側、出品する側の人としてならば、そう間違いじゃない、という内田氏の意見は・・・
<監督>としてならば、そう間違いじゃない、多分。
(他人や社会との接し方には、なお問題がありすぎだけど・・・の声)
思うに多作する監督ほど、他所の作品の細かいアラが、よく見えてしまうのだろう。(見えすぎちゃって困るの、ってCMあったよな、の声)
観客論がらみで云えば、たとえば小生の場合は、というと、実は観ている間は監督が思っている程に細かくは、気にならないケースが多い。
それは受け取る<作品イメージ>が、もっとトータル、全体的な、大雑把なものだからだろう。
まず大づかみに印象に残ったところから、その観た各人にとっての<映画>が1本発生するのだ。
その上で随所のありように怒り、泣き、笑い、喜ぶ。
ときには監督が思ってもみない所で、客席から大きな反応が起こったりもする。
それを反応を見た監督が喜ぶかどうかは、観客には必ずしも・・・わからない。
そうした点で、監督と観客とは、互いに大変感性が近く感じられることもあるが、同時に、はるか遠くに隔たってもいる。元々そういうものなのだ、と認識している。
だからこそ、<映画を観る>という行為は豊かで、楽しく、とても面白い。
いわばニ者のあわいを<越境>しようとする試み。
ゆえに当分は、やめられない・・・。
以上。
[スケバルQ <14> 「ボーダーライン・ゾーン」]の続きを読む
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- 2006/04/15(土) 14:52:26|
- 劇場用映画
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