順之助の日記。
タイトル、何となく並べてみました。
「ウルトラマンA」の<怪獣対超獣対宇宙人!>の巻みたいに。
不可能だな、こんな無茶な三つ巴タイトルマッチ・・・。
<ヤヌスの鏡>と<セーラー服反逆同盟>も、呼ぼうか?
・・・え、「ケータイ刑事THE MOVIE」ですか?
ええ、観ましたよ。一応。姉妹3人で謎に挑戦するやつ。
あの歳で警視正、って無茶だ。黒木警視正と並ぶのか?Gメンの。
うーん、学習雑誌付録のなぞなぞブック、みたいなもの、かな。
おもしろいにはおもしろいんだけど、いわゆる<映画>の面白さでは、無かった。テレビのコントだ、こりゃ。
ダジャレと展開は、かなりの脱力が。
それとちょっと、終盤とつながってないところがあって。
(ボバさんは目立ってたな。)
でも草刈正雄の刑事がらみで、皆が大笑いしたトリビアが。
おっとと。これ以上言えねえ。一応推理ものだし。
折角、必殺技と決めポーズ持ってて、見栄切ってるんだから、バトルシーンも少し入れて欲しい。
まあ、レンタル待ちでもいいかな。あれだったら。
同じ<BS-i5周年>企画なら、去年の暮れに有楽町ラ・セットや渋谷ラ・セットでやってた単発もの上映(明らかに80年代角川映画の延長上をやっている)や<スパイ道>シリーズ(「刑事まつり」のスパイ版)のほうが余程、1本1本が<映画>してるよな。
大手メジャー系の看板・稼ぎ頭と質で魅せる独立系映画の組み合わせ。
ミニミニ・邦画界化してるなあ。BSドラマも。
(多分、最近のハリウッド映画もね。)
こういう事を書いたのは他でもない、去年の秋に観た「チャーリーとチョコレート工場」に正月観た「スパイモンキー」、と洋画系の<こども映画>2本を覚えているからである。
ティム・バートン監督の「チャーリーと・・・」は、ファーザー・コンプレックスと業界内謀略のせいでかなり屈折した半分大人・半分子供の工場主青年ジョニー・デップの視点と、それにマッチさせたとおぼしき工場内の照明の薄暗さとがあいまって、筋にも画面にもこども映画らしい生き生きした弾み方があまり見られず、感情移入抑制のフィルターのみが目立つ。
それが子供たち自体がドタバタの運動体として弾むはずの<こどもシネマ>を楽しむ心理効果を、抑制し減じてしまっている。
要するにこれは、よくいる(おそらくティム・バートンにとって)不愉快な、小憎らしいタイプのこどもを嫌いな青年が、彼らに仕返しをして「ざまあみろ!」と言い放つための映画なのだ。
彼はドラえもんのいない、のび太なのだから。ただし特種才能のあるのび太。そして寂しがり屋。
あの引きこもるようなラストに、すべてが象徴されている。
その一方、「スパイモンキー」は「チャーリー」よりはるかに小粒な、もろにC級な漫画的スパイ・アクション映画ながら、徹底的にくだらない設定の下、主役のスパイ猿と相棒の元スパイ男、その娘である天才小学生、助手役のサーカス団員達がマッド・サイエンティストを相手に縦横無尽に動き回り、いきいきと画面内をアクションしてみせ、素直に運動体としての<こどもシネマ>そのものとして、存分に楽しめる。
東京のホテルマンやパット・モリタの忍者集団と延々、会釈するシーンに大笑いした。
あきらかに、こどもシネマとしての面白さでは「スパイモンキー」に軍配が上がる。
こどもと大人の間にある「ケータイ刑事」キャラも工夫次第では、これくらいには動くようになる、と思うんだが。
以上。
[スケバルマンVSあすか組VSケータイ刑事!]の続きを読む
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- 2006/03/03(金) 22:14:49|
- 劇場用映画
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北町蘭四郎、報告。
2/25(土)、毎度おなじみの佐倉・電丼上映会報告。
今回は疑問だらけの大会。そういう印象が残った。
まず、開催時間が14時半の予定が数日前、急に5分繰り上がって、慌てた。
この日、午前中は仕事なので、時間の余裕が無いのだ。少し遅れそうだ。
HPでは事情もよくわからぬまま、当初予定より2本早い電車に乗った。
14時過ぎ会場着。どうやら間に合った。
待ち時間中に、会場施設のPRを兼ねた上映予定作品紹介VTRが映し出される。消火設備や緊急連絡電話、消火訓練機器を操作し、煙にむせびながら作品解説する女優さん、なんか変な感じだ。
(そんな状況じゃないだろ!と・・・の声)
その次に、打ち上げ会場の居酒屋紹介CF。猫を探すダンディーな探偵業にも女連れでここでの休息が必要、というもの。いや、それだったらバーボンの店なんじゃ?と又つっこむ。(なぜか探偵、「どめくら」の人・・・。なぜだ?)
14時25分、字幕で<司会を拍手でお迎えください>の表示映る。皆、笑う。
TAT氏、時間繰り上げの事情説明。撤収時間の都合らしい。
なぜ、ゆっくり撤収する時間の余裕が無いのか?
(最近そういうホールが多い。行政改革の余波がきたのか・・・?)
もう一つ、ごく若干名、上映中におしゃべりをやめない客がいて迷惑した。外でしてほしい。観るならマナーを守っていただきたい。
・・・とまあ、普段に比べて謎だらけ?な状況下ではあったが、未見作をちゃんと観れたので、とりあえずほっとした。
ホラーかサスペンス?らしき「キャメラ」(この前のとは別。違う監督の作品)予告篇に引き続き、作品上映。
過去の当所や<Born in the 5>等で既に拝見した作品も多いので、ばらつきはあるが<ハートフル>な品質は、保証できる。
「教室のフシギ」(以前観た。スパイダーマンみたいに隠れてるシーン、可笑しい。大ウケ。ろくな仕事してない卒業生だらけだなー。あの謎の青年は一体・・・?)
「ユウナのちいさなおべんとう」(既述)
「母への手紙」(既述)
「まさとの夏休み」(既述)
「国民映像祭・ふくい2005受賞レポート」O林N彦監督のシーンやや長い。もっと周辺地域の状況やスタッフ・参加者の声を聞きたかった。
「わかなちゃんのバレンタイン」こういうてきぱきしたつなぎ方だと、くすぐられる。白黒サイレント調も正解。ユニーク女優も、子役のスマイルには勝てんなあ・・・。
今回、一番評価に悩んだのが新作「震災のメリークリスマス」。
問題作、である。
突然街を襲った大震災、避難所に住んでいる人々の中で元気にご飯を知らせて廻り、弟達の面倒を見ながら、情報掲示板を眺めにゆき、帰らぬ父を待つ小学生少女が主役。
その避難所にはかつて、若い頃に震災に遭い、からくも生き延びた、というおじいちゃんがいた。もしおじいちゃんの言うとおりなら、私達にももしや、と考える子供達だが・・・。という話。
心優しき市民映画としての仕上がりは、申し分無い。子役やエキストラが多いシーンは撮るのがさぞ、手間がかかったことだろう。自主枠でよくぞ、と言うべき。上出来の部類に入るだろう。
とはいうものの。
その一方で何か、釈然としないものが一つだけ、残った。
ファンタジー短篇連作シリーズ<天使の羽根>の一本だから、白い羽根をめぐる奇蹟?がからまるのは、わかるのだ。
だが・・・。うーむ。
これは、ファンタジーにして扱って、いいものなのだろうか?
被災地の人たちは、一体、どう受け取るのだろうか?
・・・という疑問が、観ている間、頭から離れなかった。
いや、勿論、監督が彼なりのきわめて真面目な、被災地への思いをこめて撮りあげたことはよくわかるし、それは後半の字幕にも明示されている。人々に立ち直ってほしい、という<メッセージ映画>であることは明白である。
しかしそのことがこの映画を、ある種の想定観客層にとって、一種扱いづらいものにしてはいないだろうか。
題材のもつ具体性。若干ながら案じているのはそこである。
阪神・淡路大震災のとき、関東にいたので、おもんばかることしか出来ないのだが・・・。
当時関西方面に居た人々、今でも生活している人々の<実感>とこの映画本編のファンタジー性とは、あるいは相容れないものなのではないか?という心配がある。
あの日以来長きにわたり、関西地域では連日、安否情報や水・食料・日用物資・都市再建などの具体的情報が流され、毎年その時期には慰霊祭が執り行われ、大きく報道され続けているはずである。
多くの人々は、忘れていないはずなのだ。具体的記憶として。
その記憶・ショックをいまだに抱えつつも、今日を生きよう、としてきているはず、なのだ。
この冬、異常な豪雪で災害に遭った人々も、おそらくそれに近い状況なのだろう・・・と。
(実際、一部の知人に年賀状を出したらある人より、今、豪雪でとても困っている、という返事が来て、うーむ、とうなってしまった。現地の人間でもなく救助隊員やボランティアでもない小生には、つらいところなのだった・・・。)
だから・・・その認識度のギャップが、心配なのだ。
(はず、ばっかりでわかった気になるな!と仮に言われたとしても、反論しづらいのだが・・。)
このことがあるので、いままで上映会の感想をどう書いていいのか、ずっと悩んでいたのだ。
これは最早、映画画面の運動性云々の枠のみでは扱うことが、不可能である・・・。
これ以降の議論については、いわゆる<社会派サイト>の範疇に属するべきもの、と判断されるので、ここでのこれ以上の議論は、遠慮させていただくこととする。
なお、打ち上げは大変盛況であり、交流会として楽しいものであったことを、追記しておく。
知人が多いとつい、濃すぎる対話になるのだが。それも又良きかな。
以上。
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- 2006/03/03(金) 18:54:17|
- インディーズムービー
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