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シネマ旅の途上にて

自主映画ウォッチャー、アWorkerのブログ。

リメンバー・アワー・ジャーニー

小五郎の、日記。


3月11日、木曜。


珍しく、朝から一日、非番。

こういう日には、普段の平日には、なかなか出来ない事をやろうと、
ひそかに、もくろんでいた。
それは・・・

行き先・立ち寄り先未定の、
房総半島一周、日帰り旅行。

な~んだ、と思われるかもしれないが。
実は、土日の夕方以降だと、通過が困難なルートが、一部にあるのだ。
うまく時間に余裕ができたら、それもやってみよう、と。
ちょうど、ダイヤ改正直前だし。(注1)

そして、千葉より出発、
JR内房線で一路、南下。
途中駅の浜金谷で、一旦下車。

海を見ながら、軽い昼食、
しばし鋸山付近に、遊ぶ。
近くのフェリー乗り場には、
ツアーの観光バスが、それなりに多く、来ているものの、
連休期と比べれば、それほど混雑していないので、
概ね、のどかな風景なり。

次第に日が昇って少し暑くなり、
ジャンパーと上着を、順次脱ぐ。
カモメが飛ぶ、トンビも輪を描く。


その後、駅へ戻り、館山行きの各駅に乗り、
終点・館山で降り、
乗り換えの安房鴨川行きを、待つ。
そこのホームで、不思議な光景に出会う。

年齢・性別のばらばらな、十人ほどの老若男女乗客が、
ホームの北端に、何かを、待っている様子。

やがて、鴨川行きの車両が到着、乗車するが、
ホーム端の彼らは、まだ乗らない。
窓から見ていると、じきに、理由が判明した。

この電車、後ろの2両ほどが、
東海道線のような、オレンジと緑色なのだが。
一番後ろが、荷物専用車両なのだ。
内部の扉に、そう書いてある。

この車両から、できたての夕刊を入れた、ビニール包みを荷降ろしして、
台車に乗せて、KIOSKの職員が、運ぶのである。(注2)
そこの、いかにも鉄道らしい光景を撮影に来た、
撮り鉄さん達が、ホームで、待っていたのだったのだ。
そういえばずっと以前も、似たような光景を見た覚えがある。

人数が小規模なこともあり、特に大きな混乱もなく、
怪訝そうな表情の係員達を、後に残して、
人々は皆、安房鴨川側行きに、乗りこんできたのだった。
ちょっと、面白い光景なり。

こうして、各駅停車の旅は、
ここから東へ方向転換、さらに続くであった。
和田浦や南三原付近では、もうあちこちに、四角い菜の花畑が見える。
有人駅の和田浦では、男の人が、夕刊をぽいっ、と放って下ろす。
後方座席より、乗り鉄さん達の、
「あ~、ここ、放るだけなんだ~」「台車じゃないんだ・・・」などの声。
微笑。


太見のあたりでは、太平洋の海岸に、岩礁や小島が、多く見られる(注3)。

やがて、内房線・外房線の境界駅、安房鴨川に到着。
休む間もなく、数分で、勝浦・千葉方面への、上り各駅が発車。


途中駅・<行川(なめかわ)アイランド>駅にも、停車。(注4)
昔同様、トンネルを出た、すぐそこに、ほっそりとしたホームが延びていた。
去年より新調されたという、真新しい待合所と、Suicaの自動改札も、あった。
釣り人が一人、乗車してきた。

駅を発車してすぐ、下の道に見えてくる、
廃止された、旧・行川アイランドの入り口と事務所が、
うっすらと寂れて、まだ、あった・・・。

子供の頃、両親のカローラで、ここを訪れては、
あのトンネルをくぐって、海側のテーマパークへ入り、
青いクジャクが高所から、次々と飛んで降りてくる、クジャクショーや、
フラミンゴの、ミュージカル・ダンスショー(曲は忘れたが)を、
シュロの並木のある園内で、わくわくしながら、眺めていたものだ・・・。

その華やかだった、かつてのファミリー・パラダイスが、
今、このどうしようもなく、寒々とした、有り様に・・・。
一瞬、きゅっ、と、胸が痛むのだった。


日も暮れかかる夕刻頃、大原駅へ到着、改札をSUicaで出る。
実はここからが、今回のメイン・イベントなのだ。

そう、昨年秋の記事を見られた方には、もうおわかりだろう・・・。
いすみ鉄道・小湊鉄道、全線乗り継ぎ。
大原発~大多喜経由~上総中野乗り換え~養老渓谷経由~五井。
房総半島、L字北上・横断ルート。

このルートは、乗り換え可能な本数が少なく、
土・日・祝日には、16時台以降は、無いのだ・・・。
乗り継ぐ乗客が、もともと、きわめて少ないためだろう。
しかし、平日ならば、18時台までは、今、確実にあるのだ!
よ~し、では思い切って、いってみよう!と。

噂の<ムーミン車両>は、すでに配備・運転されていた。(注5)
今回乗ったのが、スナフキンのが付いた車両。一両編成。
車内にもスナフキンの丸い絵と、記念スタンプが。
金属製の網棚には、小さなかごが吊ってあり、
スナフキンと、ニョロニョロ2体の、可愛い人形があった。

卒業・終業式のシーズン、今の房総沿線では全般に、
昼過ぎから、中学生・高校生の乗り降りが、特に多い。
いすみ鉄道も、例外ではなかった。

走行中に、日はとっぷりと暮れて、
大多喜駅まで来た時には、すでに周囲は、真っ暗・・・。
停車中にメッセージのみを残し、すぐ戻り、乗車。
どの駅からも、最早、外の景色が、何も見えない。

19時台、終点兼乗り継ぎ駅の、上総中野駅に到着。
運転士氏と、駅の時刻表に、再度確認。
降車時、運賃箱に700円、入れる。

いすみ車両は、ここでそのまま、折り返す。
間違いなく、ここで1時間15分ほど待っていれば、
反対側から、小湊鉄道の二両編成が、来るのだ。
一人、待つ。

やったぞ!もう大丈夫だ。
アムンゼンよ、マゼランよ、我の心境、ご覧あれ。

しかし・・・春先とはいえ、夜の風は、まだまだ冷える。
待つ間に、また一枚一枚と、厚着にもどしてゆく。
やはり、まだ少し、寒い・・・。
駅前にはたまに、地元の車(家族の送り迎えらしい)が、来るのみ。


そして、待ち焦がれた小湊車両が、
踏切の音とともに、向こうから、やってきた・・・。
すぐに、乗る。

やがて定刻通り、静かに、出発。

車掌女性に行き先を告げ、縦長の切符を買う。1370円。
乗っているのは、運転士・車掌・小生の、3名のみ。
他には途中で、十代女性が一人乗りこみ、途中で又降りたので、
終点の五井まで、ほとんど全線、貸切リ状態だった・・・。


21時45分頃、内房線との乗り換え駅・五井に到着。
乗り換え通路口で、JR側へ入る、SUica改札チェック。
この時点で、まがりなりにも、一周旅行は、完結したのだった。

さあ、千葉へ帰ろう・・・。


以上。

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  1. 2010/03/14(日) 02:31:20|
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秋・内房旅情

旅人、覚書。

10月17日、土曜午後。
仕事の終了後、昼食、
そのまま、千葉経由で、房総へ向かう。

15時少し頃、JR木更津駅へ到着。西口側へ降りる。

木更津駅前は、東口側が、主たる繁華街になっており、
西口側から、港へ向かう、大通りは、
人通りも少なく、概ね、がらん、としているのが特徴。

「木更津キャッツアイ」シリーズの、ブームをしのぶ者は、
駅前のスーパー横にある、ファンのサインでいっぱいの看板に、
まず、目をとめることだろう。

その大通りを、港方向へと歩む。
右手には、斬られ与三郎の墓のある、光明寺がある。
蝙蝠(こうもり)安の墓のある寺は、もう少し市街地の向こうになる。

左手の歩道を、昼間から一人寂しく歩むと、
途中に、<木更津銀座>の入口がある。
そこの道を、鎮守様の向こうまで行き、左手方向へ折れると、
右側の小さな駐車場の奥に、
<證誠寺(しょうじょうじ)>の本堂と、鐘がある。


ここでこの日は、ささやかながら、
地元有志による<狸まつり>が、執り行われていた。

本当に、やっているのかどうか?と、
祭りの日にしては、周囲が静かすぎる通りに、
<のぼり>の列を見るまでは、いぶかっていたのだが、
どうやら、間違いないようだ。

寺の敷地内は、黄緑色の法被を羽織った、寺の職員らしき人々や、
地元の親子連れや古老、主婦らで、かなりの賑わいを見せていた・・・。
近所の子どもが結構、大勢来て、はしゃいでいる。
どこに、こんなに人が居たんだ・・・?
まさか皆、お狸様じゃ・・・?
などどつい、馬鹿な事を思ってしまったが、そうじゃないようだ。

扉を開いた、本堂の中央には、
「証城寺の狸囃子(ばやし)」の歌を作った、作詞・作曲コンビ、
野口雨情・中山晋平の写真が、
大小さまざまの、狸の置物とともに、飾られていた。
(なぜか実際の寺の名とは、歌では字が違うのだ・・・?の声)

住職や地元名士、他の挨拶と、休憩に続き、
和気あいあいたる雰囲気の中、本日の余興が始まった。

地元有志らしき、あでやかな和服姿の、
若き三人姉妹?のお琴による、狸ばやし曲の生演奏。
曲が終わると、拍手が起きる。

引き続き、野口=中山系童謡、
「波浮の港」などの、市民観客合唱、
主婦達による舞いや、狸ばやしに合わせた踊り、
小学生達による、狸ミュージカルなどが、
次々に、披露されていった・・・。

それらを取り囲みながら、喜ぶ人々の姿。
実に陽気、陽性な集まりで。
こういうのも観ていて、なかなか、楽しいものだ。

この他、駐車場では、子どもから大人まで居る、巡業劇団らしき人々が、
複数の大太鼓を、ファミリーで?景気よく、打ち鳴らして見せた。

16時頃までに、狸祭りは、終了したので、大通りまで戻り、
夕方から日暮れまでは、
港近辺や、中之島大橋(海から、高いな~!)などを散策して、海を眺める。
その後、駅まで戻り、JRにて千葉経由で、都内のレイトショーへ、向かうのだった・・・。


つづく。
  1. 2009/10/19(月) 02:04:50|
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400年・秋 ・・・その壱

旅人、覚書。


26日、土曜、
仕事は、半日程だった。
午後、思いきって、房総へと向かう。(注1)
(自主映画の諸君、すまん!こういう日もあるんだ!と代表者の声)

今年は、月の砂漠の歌で知られた、
房総半島の御宿・田尻の浜に、
フィリピンからメキシコ(注2)へ帰還途中の、メキシコの帆船が、
台風で難破・座礁、
村民に救助された、
ドン・ロゴリゴ総督(注3)ら、漂着乗組員達が、日本に上陸して、
ちょうど、日本&メキシコ交流400年に当たる、記念イヤー!だという。

彼らは当時、地元を治めていた、
上総国(かずさのくに)の大多喜藩主、
本多忠朝(ほんだ・ただとも:注4)の、手厚い庇護を受けた。

江戸の大御所・徳川家康と、将軍・秀忠によって、
代わりの帆船が用意され、
京都の商人を乗せて、メキシコへの帰路に就いた、とか。
(まだ、鎖国してなかったんだな、の声)

その御宿は、JR外房線(注5)の沿線で、
夏場の海岸は、海水浴場のメッカとなった。(注6)

この日は何か、記念式典等の警備があるらしく、(注7)
JR外房線の踏切・陸橋等には、この日、
青い制服の警官が、あちこちで、立っていた。
各駅舎・ホームにも、青い腕章のスーツ男性が、目立っていた。
何だか、電車内の小生が、見送られているような、錯覚さえ起きる・・・?

乗り換え駅の大原に着く頃には、皆、いなくなっていた。
おそらく、式典が終わったのだろう。


さて、大多喜の街は、
現在の<いすみ鉄道>(注8)の、沿線にある。
しばらく、行っていなかった。

JR外房線の大原駅で降り、乗り換えまで、ゆっくりする。(注9)
この辺では電車は、1時間に1本なので、やや待つ。

駅付近は、今年の大原はだか祭り(神輿)シーズンも終わり、(注10)
たまに商店街風の人や、観光らしき主婦層が来る以外は、
おおむね、静かである。
大多喜駅に着く頃には、甲冑行列の<お城まつり>も、終わっている事だろう。

市電のような、黄色い車両が来る。(注11)
後部ドアより、乗車。
多くの焚き火で、白く煙る、田園風景の中を、
山地方向へ、ゆるゆると進む。

大多喜までの運賃は現在、520円。
降りるときに払う、バス方式。

最近、大多喜のひとつ前に、
城見ヶ丘(しろみがおか)という、まっさらの駅が出来た。
近くに学園キャンパスと、長距離バスの停留所ができたためらしい。
ここからは、山上の大多喜城が、たしかに見える。


大多喜城跡には、博物館の建物として、
天守閣が、再建されている。
この城、家康の重臣・本多忠勝が、城主だった時期もあるとか。
本多忠朝は、その子息なのである。


以前、坂を上って行っているが、
内部は普通の室内で、鎧などが、展示されてある。
勿論、姫路城みたいに、大きくはないが、
見晴らし台からは、
結構、山河の眺めの、いい景色が見れる・・・。
かつての城内敷地には、中学校と高校が建っている。

車両本部のある、大多喜駅に到着。(注12)
既にかなり、暗くなっていた。

他の乗客らとともに、駅員と話したが、
やはりというか、お城の大名行列は、
とうに終わっていた。残念・・・!
駅前広場には、手品のような、万国旗の紐飾りが多く残っていた。

上総中野(かずさ・なかの:注13)乗り換えで、
小湊鉄道(注14)の、養老渓谷・上総牛久・五井方面へ抜け出る電車便も、
平日ではないので、早めに終わっていた。
土・日・祝は、乗り換え便が夕方までなのだ。
いったい普段は何人位、養老渓谷方面まで、抜けて乗ってゆくのだろうか?

駅前から、ゆるやかな坂を降りたところにある、
木造りの街並みがある、幹線道路のそばへ出る。
交番の近くに、以前あったコンビニは、閉店していた・・・。

地元の衆、商店街の人々らによる、
威勢の良い、2組の神輿行列のみを、
この道あたりで、見学してきた。
わっしょい、わっしょいを眺めていたら、
少し、気が晴れた。


大原行き、20時過ぎの終電で、
もと来たルートを、千葉へ引き上げる事にした。
終電の乗客は、意外や年配者よりも、高校生が、ずっと多い。
部活帰りや、祭りの手伝いだった模様。
(遅くまで、お疲れさんです!の声)

城見ヶ丘駅で振り返ると、夜空の山上には、
白くライトアップした、あの城の天守閣が、
窓から、遠くに見えたのだった。

今回は、時間を気にしすぎて、あたふたしてしまったようだ。
次回はもうちょっと、ゆったりした気持ちで、来ようかと。


以上。






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  1. 2009/09/27(日) 23:13:35|
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探偵、旅情を募らせる

新・はみだしシネマぼやき旅、その弐。


旅人、覚書。



10月12日、日曜。
3連休の、真ん中。

きょうは、地元でも、秋祭り。
小さな御神輿が、
ピンクのはっぴの、商店街集団とともに、駅前を練り歩いている。

眺めながら、ふと、東京近辺を、離れてみたくなった。
千葉県内の、他のところの祭りは、どうなってるんだろう・・・?と。


かくて、昼下がりより、
JR快速に、乗る。

千葉経由、成田乗り換え、
成田線でのんびりと、佐原駅へ。
成田以遠は、SUICAもPASMOも使えないので、
切符か、清算になる。

そう、今日は<佐原の大祭>のメインイベント、
山車行列の日なのだ。
以前から、JRのチラシを見ていたのだ。
一度、行って見たいと思っていた。


佐原駅に着いた頃には、15時半過ぎだった。
既に駅前は、祭り目当ての観光客や、地元の老若男女で、にぎわっていた。

暖簾のかかった駅から出て、何度か角を曲がり、
人混みをかき分け、商店街を歩く。

やがて、人だかりに気づき、人々の目線の先を、眺めてみると・・・
向こうから、武者人形の乗った山車が、やってきた。

お囃子を載せて、電線の下をかいくぐり、どんどん近づいてくる、山車。
人形の横には名札が・・・「大楠公」。楠木正成だ。
角を曲がるとき、アスファルトに、振動が伝わってくる。
後には、円形の、車輪の跡が残る。

丁稚小僧のような姿の、子供達が、
山車を写メールで、嬉しそうに撮っている。
昭和と平成の入り混じった、ちょい不思議な光景。

暗くなってからも、
川越市内にも似た、蔵の多い川岸周辺では、人通りが絶えない。
さすがに和風の良き風情、
水郷の小江戸、というだけのことはある。
伊能忠敬記念館も、ちょっとだけ入って、測量地図等を観てきた。
(このような景色のもとで、
シネマ愚連隊の「痛快エロ坊主」も、撮影されたのだろうな・・・の声)

街中、あちらこちらで、浦島太郎や義経、
ヤマトタケルや平安貴族?らしき人形の載った山車が、
祭り姿の若い男女衆や、子供達に引っ張られて、
後ろからは押されて、
ゆっくりと、しかし力強く、進んでいた。

駅で置いていた案内によれば、
神社の鏡の乗った1台(あった!)を含めて、
十四台の山車が、練り歩いているはずなのだが、
歩き回って直接、確認できたのは、九台だった。
後の五台は、どの辺にいたのだろう?

近くの郷土資料館は、移転前の元銀行。
金庫室跡まで、展示室に使用しているのが、面白い。
商店街の、大理石?の元銀行支店も、今は、そば屋。

江戸・明治風の街並みを、ヨーロッパの街並み同様、
観光もあって、可能な限り保存・保持しようとしている、佐原。
なかなかに、見所の多い訪問となった。


帰り道に、JR佐倉で下車。
ここの秋祭りにも、ちょっとだけ、寄ってみた。

がら~んとした、通行止めになった、
ゆるやかな夜の坂道を、ゆっくりと上る。
徐々に、提灯と人通りが増えてゆき、ようやく昇りきると、
旧佐倉市街は、既に、子供神輿と、
大人の引っ張る、複数の山車とで、大渋滞になっていた。
ここだけ、別世界のようだった・・・。

どうにか、京成線側への下り坂へ出ると、
こちらにも、正面から大きな山車が、せまり来る。
胴体の腰が、ぐるっと回せる仕組みのあるのが、特徴。
お辞儀をするように、道の両側の各商店に上半身ごと向いて、
丁寧に、お神楽を鳴らして見せていた。

なぜか、近辺の知人には、誰一人会わぬまま、
京成線の急行で、佐倉を後にしたのだった・・・。



以上。
  1. 2008/10/13(月) 16:22:14|
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刺客人マキ・拾「峠に花の乱、やがて愛の日が」

旅人、覚書。


行くべきかどうか、非常に迷っていた、イベントが、ある・・・。
千葉県勝浦市の、<ビッグひな祭り>。

例のニュースで、状況が状況だが、(注1)
が、しかし・・・
名物のひな壇飾りは、やっぱり一度、直接、観たい・・・。

思いきって、えいやっ!と、
案内もろくに読まずに、
総武線と外房線に乗って、行ってみた。
片道1280円の、千葉乗り換え、安房鴨川行き、各駅停車。
約3時間弱の、道のり。
そして・・・。

午前11時頃、JR勝浦駅のホームへ降り立つ。
途端に、びっくり。
ホーム屋根の鉄柱、一本一本に、青竹が据え付けられ、
竹取物語のごとく、各4体ずつ、様々なるひな人形が、入っていた。
これは、相当、力を入れてるな、と直感す。

駅舎に上がると、早くも、見事なる、雛壇一式が。
切符売り場には、赤や白の飾りが付いた、
七夕のごとき吊るし飾りが、幾つも・・・。

こうした飾り付けが、数多くの雛人形や雛壇とともに、
街中の商店街や民家・住宅に、道々、一杯、飾られていたのだ。
交差点にも、ひな壇があって、
魚屋にも、肉屋にも、本屋にも、
ケーキ屋・床屋・郵便局・銀行キャッシャーにいたるまで・・・。
山の上の、市役所ロビーにも、ひな壇がある。(注2)


しかし、これはまだ、序の口。

商店街の向こう、
神社の急勾配な石段に、
何やら赤い、線のようなものが・・・。

縦に長~い、レッド・カーペット。
さよう、すべての段に、上から下まで、お雛様飾りが・・・!
社務所の前は、観光客や写真家が集まっていて、撮影会状態に。
ここで飲む甘酒は、うまい。

海岸の、勝浦漁港近く、
黄金風呂で知られる、ホテル別館の隣には、
メイン会場の、コンクリートの公民館がある。
その中の階段と廊下を、順路に沿って歩く。

地元保育園の、紙製手作り雛の部屋や、
昆布汁?の、仮設食堂、
酒粕の販売所などがあって、
2階の窓から、海が見える。
そこの廊下にも、お雛様。

そこから、下のホールへ降りると・・・
四方を、長く大きいひな壇に囲まれた区間が。
とにかく、すごい数の、
雄雛、雌雛、三人官女や、五人囃子や・・・・圧巻。
赤い、花の乱。

そこの一角には、
地元の水産系高校生が、「赤い鱗を文字状に、移植した」と説明している、
小鮒のような金魚の、水槽が。
確かに魚達のわき腹に、BIG、カツ、ウラ、などと文字が・・・。
さすがは漁港の街、と軽いカルチャー・ショックを、受ける。

更に、奥の舞台ホールには、
3年前に作られたという、
ちょっとした人間大?の、更に大き目の雄雛・雌雛が、
やはりちょっと大き目の、従者達とともに在り・・・。
もう、やられた。クラクラしてきた・・・。

とにかく、街中がこの状況で、総出で盛り上げている。
いやあ、たいしたものなり。

これだけ、沢山見たらば、
当分、「大奥」のドラマは、観る必要が無さそうだ・・・
と、つぶやいてみる。

市立図書館と、寺の門の境にも、
勿論、金屏風付きのひな壇が。
人々は、思い思いにポーズをとり、記念撮影をしている。

屏風に斜めに陽が当たる、この光景を眺めていると、
なんとなく、小さな京都気分に。
頭の中に、「必殺仕置人」のサブテーマ、「やがて愛の日が」が聞こえてきそうだ・・・。
と、それは小生だけか?

図書館内では、江戸・明治期から現在に至るまでの、
様々な雛飾りが展示され、
まるでタイ映画の、ミニチェア状態。
しかも、埼玉の鴻巣から招かれた、壮年の男女人形職人が、
客人たちの目の前で、人形の髪を結い、組み立てを実演中。
なかなか、珍しいものを見れた・・・。


遅い昼食の、バーガー等を食みつつ、
夕刻、17時頃まで、市内を散策す。

不思議な充実感を携えて、
千葉行きの各駅停車に乗り、
ゆっくりと、帰路につくのだった。




以上。 [刺客人マキ・拾「峠に花の乱、やがて愛の日が」]の続きを読む
  1. 2008/03/02(日) 21:05:47|
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